おそらく私だけではないかと思うんですが、小説を読んでいるときってながらで何でも出来てしまいます。小説を読みながらトイレに行き、お湯を沸かしてお茶をいれるくらいなら友達もできるらしいんですが、私は小説を読みながら料理もしちゃいます。けっこう友達には驚かれるし、変だといわれるんですよね。何ならお出かけ前に小説を読み始めて、読みながら化粧もするし着替えもする。そしてそのまま読みながら家を出るんです。歩くときは危ないからやめなさいって友達にも言われるんですけど、でも本の続きも気になるし、仕事やお出かけの予定があれば移動もしなくちゃいけないし…。そうなると、必然的に移動しながらとなるんですよね。もちろん危ない事はわかっているので、なるべく歩道がしっかり出来ている道か、車が通らない、通れない道を選んでいますけど…。
でも、今こうやって文字にして見て見ると、危ないですね。ながら作業が得意かといわれれば、どちらかというと逆です。段取りが悪いし、二つのタスクを同時に行うとどっちもつぶれるって言う、典型的な二兎追うものはってやつです。でも、その片方のタスクが本を読むという行動になると、とたんに効率が上がったり上手くいったりするんですよね。でも、友達にそれを説明しても、理解してもらえません。本を読んでいるときだけなんて、やっぱり私だけなんでしょうか。

子どもの頃テレビで観ていたアニメ。そのアニメが好きだと、そのアニメの本を買ってもらうこともありました。本では動かないキャラクターたちに、最初は違和感を覚えつつも、見たい時に本を開けば、いつでもそのキャラクターたちに会えるのは、とてもうれしいことでした。テレビのアニメと本のアニメ。違和感といっても動いているかどうかだけの違いなので、それほどの違和感はありません。
しかし、小説がドラマ化されるとなると、さまざまなことを感じます。読んだことのある小説がドラマになって、テレビや映画で観ると新鮮さ、を感じることがあります。小説を読んでいると、自分の中に登場人物のキャラクターにそって、自分なりのモデルが浮かんできます。明確な顔立ちや俳優さんの顔が浮かんでいるわけではないですが、一人のキャラクターができあがっているもの。それを小説の中ではなく、目に見える現実として再現されると、ぴったり一致することもあれば、違うこともあります。自分の思い描いていた雰囲気の人物とちょっと違ったりすると、新鮮です。反対に最初にドラマを見てから、原作を読むのも面白いです。文字から作られるキャラクター像がテレビドラマと違って感じられたり、もっと細かい部分を読み取ることができたりして、楽しいです。映像には映像の、本には本の魅力があり、一つの作品を2つ分楽しめる、というのは得した気分になりますね。

自分は猫好きなので、猫にも嫌われたくないと思っています。でも、それに反して、猫が嫌がることをつい、してしまうのですよね。一つは、猫の目をじーっと見つめてしまうこと。家で飼っている猫で、私の顔をとてもよく見つめる猫がいます。クリンとした目がかわいくて、思わずじっと見つめていました。相手もそらすことがないので、こちらも見つめ続けていたのですが、最近になって知ったのですが、目を見つめるのは、ケンカの挑発をしている、という行為なのだそうです。そうとは知らずに、愛情を込めて見つめていたつもりなのですが、猫にとっては「ケンカを売られている」と思っていたということですね。これでは嫌われてしまいます。今では猫が見つめてきても、ちょっと見ただけで、目をそらすようにしています。これで嫌われずにすむといいのですが。
また、しっぽをつかまれるのを、猫は嫌いますね。それは知っていたのですが、つい、つかんだり触ったりしてしまいます。狭い所にもぐってしまい、そこから引っ張り出すため、しっぽをつかんでしまったり、しっぽの先がどうなっているのか知りたくて、触ってみたり…。怒りはしないものの、内心では「やめてよ」と思っていたのでしょう。これからは気をつけますね。

女性は貧血になりやすいです。そのため、貧血を予防したり改善したりするには、食べ物にも気を遣うことが大事ですね。特に貧血にいいと言われているレバー。私はどうしてもこのレバーを食べることができません。レバー独特のくさみが鼻についてしまうのですね。最初は食わず嫌いではいけないと思い、何度が挑戦してみたのです。そこで、レバニラ炒めや焼き鳥やさんのレバーなど、できるだけ火を通したものを食べてみました。でも、ダメでした。レバーの鉄分の吸収をよくするには、ビタミンCが豊富なニラなどと一緒に食べるのがいいそうです。レバニラ炒めはもやしやニラだけなら食べられるのですが、それでは意味がありません。レバーを生で食べた方が、くさみが気にならないかと思い、レバ刺しにも挑戦してみました。薬味をたくさんつけて食べてみたのですが、これもダメです。レバ刺しはあのトロッとした感触も苦手です。でも、これはレバーが嫌い、と思っているから余計に食べられないのかもしれません。レバーが好きな人も多いですから、レバーは魅力的な食材に違いありません。そんな魅力的な食材を食べられないのは残念です。さらに、レバーは栄養価が高く、貧血予防にもいい食べ物。きっと、いつか必ず自分にも食べられる日がくるのではないか、と思っています。

ある朝鏡を見たら、自分の顔にギョッとしてしまいました。女性も年齢とともにそんな日も増えてくるのでしょう。目の下にはクマができていて、しかも二重にできていて、目の上はくぼんでいます。それなのに、頬の辺りはむくんでいるような気がします。これは我が顔ながらひどい。泣きたくなるくらいひどい顔です。
そんな顔になったのは、当然、心当りがあります。2晩の夜更かしとお酒のせいです。夜更かしは読書をしていたため、さらにインターネットで調べものをしていたせいです。それから前の晩は飲み会があり、久しぶりに会った友達だったことでたくさん飲んでしまい、睡眠時間が少なかったせいで酔いが回ってしまい、すっかり酔ってしまいました。
その悪行のせいでこの顔です。しかし、このままではいられません。出かける予定がなくても、そのままでいるのはイヤなのですぐに顔を洗い、化粧水をたくさんつけて保湿クリームを塗った後、目の周りをマッサージし、さらにホットタオルと冷たいタオルを用意して、交互に当てていきました。顔のむくみは元に戻ったようですが、クマはまだうっすらと残っています。これくらいならファンデーションを塗れば何とかなります。ホッとしましたが、あの衝撃は忘れられません。いつまでも若くはないのだと、実感しました。夜更かしには気をつけます。

金券をプレゼントに送るのは、一番面倒がなく、相手にも役立ててもらえるものではありますが、その実「手抜き」ということがあるかもしれません。自分でも実際にやってしまいますし、ドラマや映画の中でも頻繁に目にするシチュエーションなんですが、誰かの誕生日が近づいてきたとき、本人に「プレゼントはなにがほしい?」と聴いてしまうものがありますよね。あれはものすごく勿体ない気がします。色々選ぶわくわく感もあるのです。もらう方のわくわく感は当然ですが、「これをあげたら喜ぶかな」「こういうものはもう持っているかもしれないから、こっちの方が良いかもしれない」と考えて、頭を悩ませるのは、実は気持ち良いことなのかもしれないと思うのです。もちろん、失敗してしまったときのことは、想像するだけで怖いです。喜んでもらえなかったときや、むしろ迷惑がられてしまったときのことなんて、想像しようとするだけでも鳥肌ものです。けれど、だからこそ、失敗をしないように、相手がどうすれば喜んでくれるかどうか、一生懸命考えるんですよね。その時間、思っていること自体が、相手へのプレゼントになるのだと思います。すべての金券が「手抜き」ではなく、それが相手を思いやっていることになることもありますが。

ことわざの英訳って、調べてみると面白いものが多いですよね。「あ、そういうことなんだ」と思ったり、「英語圏だとこういう概念があるんだ」ということがあったり。常識や文化が全然違うと、びっくりするような言葉が飛び交っていたりして、新鮮そのものだったりします。英語のことわざ自体を、日本語に訳してみると、同じようなことを言っていても、表現に使われるアイテムや作法が全然違って、ただ調べているだけでも、かなり興味深くて楽しいですよ。もちろん、使われているアイテムが一緒だったり、「そういう気持ちはどこの国も共通なんだな!」とびっくりすることもあったりして。私は、「覆水盆に帰らず」ということわざが、英語だと「あふれたミルクを戻すこと出来ない」みたいなニュアンスになるんですよね。覆水ではなく、こぼれたミルクというところがまた、文化圏の違いを思い知って、面白いなあと思います。そう言えば子どものころ、この「覆水盆に帰らず」の意味をよく理解していなくて、「お盆には帰ってこないのか」という、時期的なものだと思っていたころがありました。ほんの一時でしたけどね。お盆は死者が帰ってくる日、という概念を知ったので、何かに当てはめてみたかったのでしょう。

中学生のころ、三年生になったばかりのときに、他県から転入して来た子がいました。クラスは違ったんですが、友達が声をかけていたということで、何故か話をして、知り合いになって、馬があってとても仲良くなりました。今でも友人で、頻度は減りましたが、食事をしたり、どうでもいいメールや電話をしたりしています。一期一会と言いますが、本当にその通りだと思いました。普通にしていたのでは仲良くなれなかったし、仲良くなれなかったら、今の私もだいぶ違うものになっていたと思うのです。当時、その子に貸してもらった小説が、とにかく面白くて、その子が持っているシリーズや、同じ作者の作品を、ひたすら読んでいたんです。次の日には続きを貸してもらって、その次の日には・・・という繰り返しでした。一度、学校で読んでいて、机の中に忘れて来てしまったときは、わざわざ学校に戻って、暗くなった教室に、先生に頼んで入れてもらったこともありました。そのくらい続きが気になって、読みたくて仕方なかったのです。あのころから、読書に没頭するのが一層強くなったように思います。当時は高校受験も目の前だったのに、その本ばかり読んでいて大変でした。その子とは志望校も一緒だったので、二人一緒に受かったから良かったようなものの・・・。

小学生のころ、休み時間になればすぐに外に飛び出していって、ひたすら身体を動かして遊んでいました。そのうち、学校でも勤務でも、休み時間はゆったりと羽を伸ばす時間として、「休憩」として使うことが多くなりました。飲み物を飲んだり、寝転がったり、そういうことです。友達と話したりするのは今も変わらないのですが、小学生のころは、むしろその休み時間のために授業を受けている感じがしていました。学校内の遊具で遊んだり、鬼ごっこをしたり、ボールを使ったり・・・。学年ごとに使えるものが制限されていた遊具や、クラスに限られた数しかないボールの取り合いなど、今になって思えば懐かしいものも、当時は真剣だったのです。中休みと呼ばれた、たった十五分の休み時間だって、毎日本当に楽しかったのです。雨が降った日は、当然外では遊べません。体育館を使っても良かったのですが、大抵上級生が占領してしまっていたので、もっぱら教室で読書でした。図書室を使っていいのも、やっぱり上級生からだったので、学級文庫という、教室に備え付けになっている本を読んでいました。それが義務だったんですね。だから、雨の日の休み時間はとても静かだった思い出があります。

体感時間というのは恐ろしいもので、タイムマシンって、この体感時間を使えば、作れてしまうものなんじゃないかと思うことがあります。読書に夢中になっていたり、ゲームを真剣にやっていたりすると、「気づいたらもうこんな時間」って思うこと、かなりたくさんありませんか?もちろん、反対に「まだこれしか時間が経っていないのか・・・」と苦痛に感じるような時間もあるんですけど・・・。暇すぎるアルバイトで、けれど時給制というときなんかに、よく味わっていました。あとは、言ってしまうはあれなんですが、つまらない授業とかですね。「まだ終わらないのか・・・」と何度時計を見上げたか分からないこともあります。周囲の生徒も、同じようにして時計を見上げたり、腕時計を見たりとちらちら行動しているので、「みんな同じように思っているんだな・・・」と、嬉しいような悲しいような、複雑な気持ちになってことは多いです。熱中していると、時間を忘れることがありますし、疲れて眠っていると、「もうそんなに経ってしまったのか」と感じることだってありますからね。ただ、これはどうしても精神上の問題なので、物理的には確実に時間は流れているわけで・・・。体感時間が、いくら個人差があったとしても、物理的には平等なわけですから、これだけではやっぱり、タイムマシンは無理なんでしょうね。