今朝、通勤の電車の中で目の前の関に座っていた女性が読書をしていました。その女性の本には、しっかりとしたブックカバーがされていました。そのブックカバーは恐らくお手製のものなのですが、とても暖かみのあるかわいらしいデザインで、思わず見入ってしまいました。
昔、小学生のときに母親に作ってもらった『図書袋』を思い出しました。図書袋は小学校の図書館で本を借りた際に、本を入れて持ち運ぶ手提げバックです。みんなお母さんのお手製でした。私の図書袋は、白地に細い赤のストライプが入った生地で、『うちのタマ知りませんか?』のタマのアップリケがついていました。気に入って使っていたことを思い出し、そういえばあの図書袋、どこに行ってしまったんだろう?と思い、母親に連絡をしました。
母ももうどこに行ったかわからない、多分捨てちゃったと思う…ということで、少し寂しい気持ちになりました。今までは全く思い出しもしなかった図書袋だけど、今朝電車で見かけたことでこの思い出が蘇り、ほっこりした気持ちと同時に小学生時代のいろんな思い出が蘇りました。私もいつか母親になったら、子供にはしっかりした図書袋を作ってあげようと思ったのでした!

私は幼い頃から読書が大好きで、中学時代には数人の仲間と共に自分たちで勝手に読書部というものを創設して放課後になると部員が小さな空き教室に集まってみんなで読書に耽っていました。部として本を読むスタイルは完全に自由で数人の部員のうち一人で下校時刻を知らせるチャイムが鳴るまで小難しい哲学の本や歴史に名を残す世界文学を読んでいる部員もいれば、二三人で軽い小説をお話しながら読んでいる部員もいました。部員でいるための条件は月に一度どんな本でも部で創設時に作ったミニ本棚に一冊の本を寄付することだけでした。そして私が中学二年生の時、当時中学一年生だったとても体格の小さく、いかにも勉強ができそうな男の子が入部したいということで部室を訪れました。彼は一ヶ月に一冊の本を部に寄付しなければならないことを既に知っていたようでそのときは入部届けと一緒にドフトエフスキーの「罪と罰」という小説を持ち寄ってくれました。そしてそれが私のドフトエフスキーとの出会いでした。それから私はドフトエフスキーに夢中になり「カラマーゾフの兄弟」や「白痴」などの作品を読みあさることになりました。高校生の時の夏休みには一日中図書館にこもってロシア語の辞書を片手に「罪と罰」の原典をまるまる夏休みをかけて読み解きました。このようにしてひょんなことから私のロシア文学の人生は始まったのです。みなさんも自分と文学との出会いを思い出してみてください。人それぞれその出会いに対する思い入れがあるはずです。

オンとオフのバランスって大切ですよね。なんだか最近、お友達と会ったり、初めて会う人と遊んだりとオンな出来事が多くて、オフする時間がなかなか無い事に気づきました。ひょっとしたらちょっと疲れてしまったのか、最近の私はぐったり。夜しっかり眠れることはとてもありがたいんですけど、何をしていてもぼーっとしてしまってダメなんですよね。
今のところ何とか仕事や友達との予定はさぼったり忘れたりしないでいられているんですが、いつかやらかしてしまいそうで怖いです。友達もそういうタイプの子が多くて、中には2週間はかなりアクティブに人と遊んだりして過ごして、残り2週間は誰とも会わず連絡も取らずに過ごすという子も居るくらいです。私はそこまで極端にはできないんですけど、気持ちはわかるんですよね。バイオリズムの波をもう少しフラットに近づけることができたら楽なんでしょうけど、なかなかうまくいかないのでそういう時にはひっそりスイッチをオフにすることにしています。
ひたすら本を読んでみたり、詩を書いてみたり…そうやっていると、気が付くと元気が復活していたりするんですよ。バランスを取りながら、少しずつでもオンの時間が増えたらいいなとは思うんですが、やっぱりオフも必要ですよね。

ヨーガスートラというものがあります。日本でヨガと言えば、ポーズをとる事=運動やエクササイズの一種と思われがちですが、本来は呼吸やポーズと思想、瞑想によってヨガが成り立っているのです。そんなヨガの思想を最近学んでいます。例えば、野球で言ったらルールを学んでいるようなもんでしょうか。ヨガの座学という感じです。勉強と思うとちょっと難しいイメージなんですが、意外と面白いんですよね。
ヨガには八支則と言うものがあるんだそうです。やってはいけないこと、やるべきこと、姿勢(これが一般的に言うヨガのポーズの部分ですね)、呼吸、瞑想、集中、禅、そのすべてが最も深いところへ到達した状態、この8つです。一つ一つがさらにいくつかに分かれていて、いろんな細かい禁則などがあるんです。
それらを一つ一つ見ていくと、ヨガって仏教なんだなってよくわかります(笑)仏教と思うととても難しくて、禁欲的な生活が苦しいものというイメージがあるんですが、きちんと意味やどうしてこういう決まりがあるのかまでを考えていくとだんだんと意識が深くなっていって、自然とヨガになっているんですよ。
これに限らず、何でも調べているうちに理解が深まり、結果的に習得に近づくものって多いと思います。武道なんかもそういうものも多いと思うので、何でも調べてみると面白いですよ。

自宅のテーブルの上には、ガラスポットに入った金平糖が常備されています。前は缶に飴玉を入れてストックしていたんですが、暑さで溶けてしまうので金平糖にかえました。初めてうちに来た人はだいたい首をかしげるんですが、単におしゃれでおいているというわけではないんです。
小説を夢中で読んでいて、頭が痛くなったことってありませんか?目が疲れることが原因なのか、脳みそを使いすぎることが原因なのかはっきりしませんが、一度痛くなると寝ても起きても頭が痛くてつらいんですよね。でも、そういう時に糖分を取ると痛みが緩和することに気付いたんです。もちろん、痛くなる前に糖分を取っていれば同じだけ本を読んでも痛くなりにくい事にも気づきました。
最初は読書するときに小皿に金平糖をいれておくようにしていたんですが、ストックが切れていることに気づきづらかったり、いちいち出すのが面倒だったり(笑)なので、100円ショップで可愛いガラスのポットを買ってきてそこに金平糖を入れているんです。
大きい粒のものじゃなくて、小さいものを入れているのでモザイクみたいになっていて可愛いんです。おしゃれでやっているわけじゃないとはいえ、やっぱりおしゃれに見えたほうが嬉しいですからね♪今気になっているのは、京都にあるという金平糖の専門店。チョコ味とかもあるらしいので、とても気になってます…。

定期的に、一つの食材にハマってしまう事があります。前はそうめんにハマったり、うどんにハマったりしたんですが、今はお蕎麦。それも、手打ちにハマってしまっているんです。最初は、食べるだけで良かったんです。おいしい手打ちそばのお店を探したいと思って、ネットで口コミを探したりしていた程度だったんですよ。
でも、いろんなお店を食べ歩くうちに自分でも作ってみたい衝動に駆られてしまったんです。まずはネットで情報収集。でも、情報がいろいろありすぎて迷子になりました。そこで本屋さんへ行き、お料理の本のコーナーで蕎麦打ちの本を探します。そんなに何冊も無かったので、その中で一番写真が多くてわかりやすいものを購入、何度も何度も読みました。
イメージトレーニングをしつつ、必要な道具をそろえて行きました。本当は、こね鉢とかも欲しかったんですが、初めてで続けられるかもわからないし、ボウルでも良いと書かれていたのでボウルで代用。のし棒とのし板は保管にこまるので小さいものにしました。
スーパーで買ってきたそば粉でチャレンジしてみた結果…初めてなので当然うまくいかず(笑)そばはぶちぶちちぎれて見るも無残な姿でした。悔しいので、また近いうちにリベンジしてみたいと思います!

小さいころの記憶で、一番古いものってなんですか?私は、保育園の入園前に受けた予防接種がとてつもなく恐ろしかったのが一番古い記憶でしょうか…。いろんな人の本を読んでみると、子供の頃の記憶の話が出てくることも多いんですが、大体の人は保育園の頃の記憶が一番古いようですね。中には、1歳くらいの母親とのやり取りを覚えている人がいたり、中にはもっと前の記憶がある!なんていう人も居るようです。
前に読んだ本の中に、「子供は親を選べないというが、どうやらそれは嘘。」という言葉がありました。その本によると、著者のお子さんは生まれる前どころかお母さんが妊娠する前の記憶があるんだとか。それによると、子供は天使のように羽が生えていて、空の上からどの家に生まれたいか自分で選ぶことが出来るんだそうです。その子は自分のお母さんになる著者の方を空から見ていて、「あの人のこどもになりたい」と思ったんだそうです。そうしたら羽が無くなって、ひゅーっと空から降りてきてお母さんのおなかの中に入れたと語ったんだとか。子供は天使なんて言いますが、本当に天使なのかもしれないとそのお話を読んで思いました。私ももう少し昔の事を頑張って思い出してみたら、空の上に居た頃のことが思い出せるかなあ(笑)

考えて考えて、考えすぎて不安になってしまう事ってありませんか?例えば、好きな人や恋人が居て、その人が自分のことを好きじゃなかったらどうしようって考えてしまうような…。好きだから付き合っているんだろうし、関係を維持できているんだろうから心配することではないんじゃない?と友達にいくら言われても、ひょっとしたら嫌なのに我慢しているのかもしれない。何か、自分と付き合う事で生まれるたった一つのメリットのために我慢しているのかもしれないと思ってしまうのです。そう思い始めるともう止まらなくて、最終的には「~かもしれない」が「~に違いない」に自分の中で変わってしま運ですよね。そうなると自分で自分を追いつめてしまって、「迷惑かけてごめんなさい、もう私のことは気にしないで」なんて思ってしまう。大好きな人なのに、自分から傷つけるようなことを言ったりしたりして、自分から幸せを遠ざけてしまう。そういう事が良くあるんです。最近は、「これは良くない思考パターンだな」と思ったら止めるようにしているので暴走は減りましたけどね。
何で急にこんな話を始めたかと言うと、今読んでいる小説の主人公がまさにそんな感じだから(笑)わかるよ~わかるわかる!でもだめよ!なんて思いながら読み進めています(笑)どうか、この主人公が幸せになれるラストが待っていますように!

もう何年もずっと探していた本をやっとゲットできました!と言っても、好きなマンガのノベライズ作品なんですけどね。マンガやゲームのノベライズ作品って、実はあまり良く思っていなかったんです。原作を作った人が書くものならばともかく、他の人が作る以上それは「同じ設定の違う物語」になってしまうんじゃないかと思っていたんです。例えば主人公の口癖やしぐさ一つにしても、別の人が描けば違う雰囲気をまとってしまうじゃないですか。だから、やっぱり原作が一番!と思っていたんです。でも、友達はノベライズは歓迎派。違う人が描くことによって、その作品の世界の違う一面を見つけることが出来るというのです。確かに、そういうとらえ方をしてみるととても素敵!何も意地になって拒否する必要はないから、一度読んでみなよと言われたので、ならば一番好きな作品で!と思って探していたのです。ノベライズにハマるなんてありえないけど、と思ったところで、その作品の登場人物の口癖「ありえないなんてことは、ありえない」を思い出して苦笑いしました。なんでも固定観念にとらわれずに手を出してみて、いろんなものの中から好きなものを拾い上げられる人になりたいなあ。

今日のお昼休みのことです。ついこの間引越しをしたばかりの同僚が、お弁当を頬張りながら「新しい家って気分が変わっていいけれど、やっぱり生活感がなくてしばらくツラいよねぇー」と溜息をついていました。私も昔引越しをした時、全く同じことを思ったので、ここは「そうだよねー」と力強く同意。「早く慣れるといいね」と慰めの言葉をかけました。
そうなのです。引越しは、その「新しさ」に胸が躍るくらい、「新しさ」に苦しめられるもの。私も何度か引越しをしましたが、1番慣れるのに時間のかかったのは一人暮らしを始めた時でした。食器や家具、洋服などは実家から持ってきましたが、盲点だったのは行事に使うアイテムが一つもないこと。お雛様もなければ、鯉のぼりもない。クリスマスツリーすらありません。これは堪えました。実家にいる頃は季節の行事など過ぎ去っていく日々の一部でしたが、その一部がなくなって初めて、「大切なものだったんだなぁ」としみじみわかりました。行事の準備をしている家族に感じるポカポカとしたあたたかさは私にとって紛れもなく「生活感」の一つだったのでしょう。
小説を読んでいると、家族の団らんシーンではよく季節のイベントが描かれているのに気づきます。それを読む度に、「ああ、みんな家族で行うイベントにあたたかさを感じるんだなぁ」と嬉しくなるのです……なーんて、ちょっとおセンチすぎますか?